冒頭、ブーバーの影響を受けていることや臨床的な感覚がブーバーの概念と親和性があることを述べ、当然ブーバーと和気藹々な対話になることを目論んでいた風なロジャースに対し、いきなりブーバーはあっさりと「でも、あなた(治療者)と患者さんは対等ではありませんね」とすかす所から、この「齟齬だらけの」対話は始まる。
あとは、治療の重要な「一瞬」とブーバー思想を結び付けようとするロジャースと、対話「全体」を俯瞰的にみることでセラピーと自分の概念は異なると主張するブーバーとの間で、対話はずっとすれ違い続ける。
しかし、対話というのは、これでいいのではないか?
ロジャースの甘ったるい「相互性」だとか、「内的出会い」とか、私には正直ぴんとこない。
むしろ、相手への「了解不能性/不可能性」から出発したほうが、議論は発展的なものになるのではないだろうか。本書のように。
われー汝の対等性、対称性を主張し、思想としては「甘い(論理的に甘いという意味ではなく、内容的に感傷に過ぎる)」ように見えるブーバーだが、本書でちょっと見直した。
ブーバー研究者こそ読むべき本のように思われる。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ブーバー ロジャーズ 対話―解説つき新版 単行本 – 2007/3/1
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社春秋社
- 発売日2007/3/1
- ISBN-10439336483X
- ISBN-13978-4393364833
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 春秋社 (2007/3/1)
- 発売日 : 2007/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 439336483X
- ISBN-13 : 978-4393364833
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,181,792位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,285位西洋哲学入門
- - 2,562位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 39,389位心理学 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
6グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2012年6月23日に日本でレビュー済み
この本は、私自身の「ありよう」をかえりみるに当って、大きな示唆をもたらす一冊である。
「真の対話」とは何か。。。
ブーバー は、「対話」 にとって必要になる条件として、おおむね3つのポイントを挙げている。
(1)「真に生きること」
これは、他者の目に映るであろう自らのイメージを過剰に意識し行為するのではなく、関係性において、率直かつ誠実に振る舞い、自己を他者に対してあるがままに投げかけて生きようとする姿勢である。
(2)「他者と向かい合うこと」
これは、自分の注意を、他者の表面上の言動だけでなく、その根底にある 「生きた存在」 そのものに向け、その 「実存」 と対峙しようとする姿勢である。
(3)「存在確認」あるいは「存在承認」とでも呼ぶようなもの。
これは、他者の立場が自分と同じであろうとなかろうと、その他者を 「今、ここ」 に 「実存」 している存在として承認することである。これは単なる 「同意」 や 「了解」 などではなく、具体的に存在する他者を、人間としてありのままに 「受容」 することにほかならない。
一方、カール・ロジャースの見解も引いておきたい。
(1)「誠実性」
これは、自己に正直であると共に他者にも正直であることを意味する。自己に正直であることとは、自己の感情を自分のものとして経験することである。また、他者に正直であることとは、自己の経験した感情を、他者が知りたいと欲する限りにおいてありのままに伝えるということである。
(2)「無条件の受容」
これは、他者をその短所や欠点を持ったままの存在として、ありのままに受け入れるということである。たとえそれが否定的なものであっても、その存在に対する評価は正当に認めた上で、それでもまったく何らの条件も設けずに受容することである。
(3)「内的受容」
これは、他者の思考や感情の世界に入り込もうと試み、その世界をあたかも自分の世界のように感じようとする理解の 「在りよう」 である。これは 「同情」 や 「共感」 のちょうど中間に当たるような姿勢であり、相手と同化してしまうというのではなく、相手を 「尊重」 する故に、結果的に、ある一定の 「距離」 を保つことにもなる。
では、「真の対話」 を妨げるものとはどういうものがあろうか。
まずは、他者を単に自分自身にとっての必要な手段として扱おうとすることであろう。これは、自己のためには、他者をおとしめ傷つけることをもいとわないとする姿勢である。
また、社会の様々な局面において暗黙のうちに定められている 「タブー」 や 「常識」 などの 「規範」 に基づく、言わば社会的な制約も 「対話」 を著しく阻害する要因となろう。
さらには、「対話」 の当事者間に設けられる 「心理的な距離」 が不適切であることも阻害要因になり得るように思われる。
具体的には、相手に対して、「無関心であること」 や 「恐怖を抱いていること」、「(当の関係性にそぐわない)過剰な尊敬を抱いていること」 などがあろうか。
ブーバー。そして、ロジャース。私にとって、この二人は、今でも大きな存在であり、原点でもある。
「真の対話」とは何か。。。
ブーバー は、「対話」 にとって必要になる条件として、おおむね3つのポイントを挙げている。
(1)「真に生きること」
これは、他者の目に映るであろう自らのイメージを過剰に意識し行為するのではなく、関係性において、率直かつ誠実に振る舞い、自己を他者に対してあるがままに投げかけて生きようとする姿勢である。
(2)「他者と向かい合うこと」
これは、自分の注意を、他者の表面上の言動だけでなく、その根底にある 「生きた存在」 そのものに向け、その 「実存」 と対峙しようとする姿勢である。
(3)「存在確認」あるいは「存在承認」とでも呼ぶようなもの。
これは、他者の立場が自分と同じであろうとなかろうと、その他者を 「今、ここ」 に 「実存」 している存在として承認することである。これは単なる 「同意」 や 「了解」 などではなく、具体的に存在する他者を、人間としてありのままに 「受容」 することにほかならない。
一方、カール・ロジャースの見解も引いておきたい。
(1)「誠実性」
これは、自己に正直であると共に他者にも正直であることを意味する。自己に正直であることとは、自己の感情を自分のものとして経験することである。また、他者に正直であることとは、自己の経験した感情を、他者が知りたいと欲する限りにおいてありのままに伝えるということである。
(2)「無条件の受容」
これは、他者をその短所や欠点を持ったままの存在として、ありのままに受け入れるということである。たとえそれが否定的なものであっても、その存在に対する評価は正当に認めた上で、それでもまったく何らの条件も設けずに受容することである。
(3)「内的受容」
これは、他者の思考や感情の世界に入り込もうと試み、その世界をあたかも自分の世界のように感じようとする理解の 「在りよう」 である。これは 「同情」 や 「共感」 のちょうど中間に当たるような姿勢であり、相手と同化してしまうというのではなく、相手を 「尊重」 する故に、結果的に、ある一定の 「距離」 を保つことにもなる。
では、「真の対話」 を妨げるものとはどういうものがあろうか。
まずは、他者を単に自分自身にとっての必要な手段として扱おうとすることであろう。これは、自己のためには、他者をおとしめ傷つけることをもいとわないとする姿勢である。
また、社会の様々な局面において暗黙のうちに定められている 「タブー」 や 「常識」 などの 「規範」 に基づく、言わば社会的な制約も 「対話」 を著しく阻害する要因となろう。
さらには、「対話」 の当事者間に設けられる 「心理的な距離」 が不適切であることも阻害要因になり得るように思われる。
具体的には、相手に対して、「無関心であること」 や 「恐怖を抱いていること」、「(当の関係性にそぐわない)過剰な尊敬を抱いていること」 などがあろうか。
ブーバー。そして、ロジャース。私にとって、この二人は、今でも大きな存在であり、原点でもある。
2011年9月24日に日本でレビュー済み
この『対話』...ではなく、この『本』が伝えたいことは、いったいなんなのか?
ブーバーとロジャーズの対話を収めているのですが、それ以前の「版」とのちがいを語る注釈が
余計なのです。研究者のための「書」であれば、これでもよいのでしょう。
初めてこの「対話」を手にして、そこに記されていることを知りたいと思う読者にとっては、
「対話」に集中できないことは致命的です。
救いは、「監訳者あとがき」の、山田邦男氏の解説があることです。
ここだけが、落ち着いて読めるところです。
山田氏の個人的な解釈である事をことわって、...こう続きます。
われわれは少なくとも、二人の対話をディベートであるかのように考えて、その論争の差異や優劣に
のみ注意を奪われるのではなく、二人のやり取りの背後に隠れている接点をも読み取ることによって、
真の人間関係や対話の本質に関して一層多くのことを学ぶことができるであろう。
そうです。
ここに集中させてほしいのです。
ロジャーズは、Co-Clの間で起こっていることを語っていて、
ブーバーは、このCo-Clの世界を外から観ている... このくらいしか読み取れないのです、
私には。
ブーバーとロジャーズの対話を収めているのですが、それ以前の「版」とのちがいを語る注釈が
余計なのです。研究者のための「書」であれば、これでもよいのでしょう。
初めてこの「対話」を手にして、そこに記されていることを知りたいと思う読者にとっては、
「対話」に集中できないことは致命的です。
救いは、「監訳者あとがき」の、山田邦男氏の解説があることです。
ここだけが、落ち着いて読めるところです。
山田氏の個人的な解釈である事をことわって、...こう続きます。
われわれは少なくとも、二人の対話をディベートであるかのように考えて、その論争の差異や優劣に
のみ注意を奪われるのではなく、二人のやり取りの背後に隠れている接点をも読み取ることによって、
真の人間関係や対話の本質に関して一層多くのことを学ぶことができるであろう。
そうです。
ここに集中させてほしいのです。
ロジャーズは、Co-Clの間で起こっていることを語っていて、
ブーバーは、このCo-Clの世界を外から観ている... このくらいしか読み取れないのです、
私には。